地下歓楽街―Information―
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26日に羽田発福岡行きの始発で帰り、27日の最終便で戻ってきました。
続きに日記を書いていますが、エグイ内容を含みますので、お食事前の方は読まない方が良いです。他人の家族に興味のない方もスルーしてください。
1日目、祖父の入院する病院に行ったところ、祖父は点滴を受けながら祖母と話をしていました。
起きたり眠ったりを繰り返していましたが、少し話ができました。
祖父は喫煙による肺血腫のため肺の機能が低下し、普段から酸素吸入器を付けてたのですが、今回肺炎をわずらったことでさらに呼吸機能が悪化し、痰が出続けているとのことでした。
1時間と置かずに看護婦さんが来て、鼻と口から5ミリくらいの太さのチューブを30cmほど差し込み、痰を吸引していました。
その間、酸素吸入器をはずし、息ができなくなるので苦しいらしく、祖母が暴れる祖父の手を抑えていました。痰が上がってくると、ヘドロのような、生ゴミ系の酷い口臭のような悪臭がします。私はもらいゲ■するタイプなので、その場にいるのが耐えられませんでした。
以前から点滴や注射をしまくったせいで、祖父の手足には注射跡が色素沈着した紫色の痣だらけです。しかも、手足とも骨と皮だけになり、私よりも細くなっていました。
食事は全部ペースト状の病人食。メニューにはサラダとか魚の照り焼きとか書いてあるものの、匂いからそれと判別するのがやっとという有様。祖父はおかゆ以外を口にしたがりませんでした。
痛々しかったけれど、好みの看護婦さんの前では態度が違ったり、祖母に文句を言ったりしていて、まだ元気そうだったので1日目は19時過ぎに帰りました。
余談ですが、心電図や脈拍とともに、血中の酸素濃度がモニタに表示されていました。100以上が健康で、90以下になるとアラームが鳴り響きます。
祖母が『危篤』と大騒ぎしたとき、その酸素濃度が一時的に15にまで下がっていたのだそうです。そこで主治医に「延命治療に関する説明」を受け、もうダメだと早合点した模様。
ちなみに、いびきをかいて眠る祖父を見て『昏睡状態』と言っていたので、医療もののドラマなどから適当に覚えた単語を勘違いして使用していることも明らかになりました。
で、2日目。
朝から祖母を連れて車で病院に行ったところ、看護婦さんに祖父が夜中から明け方まで起きていた事を詫びられました。
夕方からぐっすり眠ってしまったため、夜が寝付けなかったようです。
その代わり、朝食はしっかり食べて元気そうでした。痰も自分で吐けるようになり、手足を動かして筋肉が衰えないように、しきりにトレーニング(らしき行動)をしていました。
が、昼頃に容態が一変しました。
お茶が飲みたいと言っていたのに、気管支に入らないようにとろみが付けられたお茶を口にしたとたんむせてはき出し、昼食を一口も食べないまま、薬だけ飲んで眠ってしまいました。
1時頃、祖父の呼吸が変わります。
陸上で短距離走した後の呼吸みたいな、ハッハッハッハッ、という呼吸。しかも全身が震えだし、体温も上がりました。あわてて看護婦さんを呼びに行き、ベッドを温めると熱も39度を超え、祖母は軽いパニック状態。
もちろん私も大混乱で、祖父の手をずっと握りしめていました。
しかも、太ももから注入している点滴の管から液が漏れ、点滴用の針を打ち直すことに……。
祖父の血管は喫煙のせいで細く、固くなり、点滴を打てるような状態ではありません。ベテラン看護婦が何度も針を打ち、なんとか点滴が再会されたものの、液が血管に入っていかないため、チューブの中に降りていかないという事態になりました。
だから、その後はずっと私と祖母が針と血管のあたりをさすってました。ほとんど食事をしない祖父の唯一のエネルギー源は点滴なので、これが止まると生死に関わります。
夕方、弟が病室に来ましたが、祖父は熱で朦朧としたたまま半分眠った状態だったので、会話もできずに帰っていきました。私も飛行機の時間ぎりぎりまで病室に残ったけれど、起こすのが忍びなくて、泊まり込むと言い張る祖母を残し、病室を後にしました。
帰宅したところ、私を待っていた両親の口から聞かされたのは、ショッキングな話でした。
訃報です。
幸か不幸か、祖父の訃報、ではありません。
近所に住む祖母の親友(私の幼なじみのおばあちゃんでもある)が亡くなったという知らせです。
2日ほどまえから行方がわからなくなっていたため捜索したところ、近くの川で水死体となって発見されたのだとか。
鬱病にかかり、ずっと死にたいと言っていたそうなので、警察や家族は入水自殺と判断したようです。
お世話になった人なので私も挨拶に行くべきだったのでしょうが、死因が死因だけに密葬になるらしく、最終便の時間も迫っていたので私はそのまま家を出ました。
祖父の容態ももちろん心配だけど、祖母も放っておけません。
最愛の夫が心配で心配でたまらないはずのところに、一番仲の良かった友達の死が重なって、心労で倒れてもおかしくない状況です。
祖父の元気な顔を見て安心する予定でしたが、不安要素ばかりが目につきました。
病室を出て6時間以上経過した今でも、酸素濃度低下を警告するアラーム音が耳から消えてくれません。
もしかしたら、当分は毎週末帰省することになるかもしれません。